「普通」という呪縛
人はそれぞれ。
見た目も考え方も違っていて当たり前のことです。
私が子供の頃はなんでも「多数決」で決める風習がありました。
「少数派」の人は肩身の狭い思いをしたり、変な人を見るような目で見られたりしていました。
他の人と同じことをしていなければ、「おかしい人」になってしまっていたんです。
その頃はそれが当たり前だと思っていたけど、今から考えたらそれこそがおかしな事です。
集団行動したときに扱いやすいように、輪から乱れないようにしていたのでしょうね。
私は子供のころから集団行動は苦手でした。
運動会や遠足、修学旅行、レクリエーションなど、みんなでおこなう行事。
遠足ではひとりでふらふらと歩いて行って、迷子になるタイプの子供でした。
だからいつの頃からか「普通になりたい」と思うようになりました。
みんなと同じ行動をして安心していました。
でもそれは自分に嘘をつくということでもあります。
自分で考えることをやめて、人に合わせて生きてきました。
それでよかった時もありますが、何をするにも人の顔色をうかがう人生は疲れます。
自分で決めずに人に判断をゆだねて、後悔したこともあります。
自分でちゃんと考えて決めればよかった、と思うこともありました。
一般的な考えや常識は知っておいたほうがいいけど、それだけにこだわっていると心が疲れてしまいますよ。
今、私はひとりで仕事をして自由に暮らしています。
それを良いと言う人もいるでしょう。
悪いと批判してくる人もいるでしょう。
それはその人の考え方なのでいろんな意見があっていいと思います。
普通じゃなくてもいい。
他人の期待に応えるだけの人生は、他人の人生を生きていることと同じです。
あなたには自分の人生を生きてほしいと思います。